当山は、小森山圓福寺(中北上1319番地)と称していたが、後醍醐天皇が隠岐島を脱出、船上山の名和長年に身を寄せられた1333年頃兵火によって焼失。
その後180年ほど放置されていたが、永正13(1516)年に幻住寺六世大網愚溪大和尚が、岩谷城主大河原彈正の懇請を容れて、大永5(1525)年10月10日に中北上1161番地に、山号を山形臥龍に似たるを以て澤龍山とし、「澤龍山小林庵」開山。
本尊「十一面観世音菩薩」は、岩谷城を築城した山名教清寄進の岩谷山慈悲門寺の本尊であったが、当時(戦国時代)  >続きを読む