名古屋市史によると安用寺はもともと清須外町にあり、緑陰青公の開基にして南桂惠泉の草創で、慶長遷府(清洲越し)の際に現在地に移るとあります。また杉之町に上使休息所ができる以前は安用寺で上使を迎え饗応しました。初代藩主徳川義直、二代藩主光友もここで上使と対面しています。そして天明5年に法地を再興し道須彌山を請じて開山とし現在にいたります。

境内には豊福稲荷を祀る稲荷堂がありますが、明治年間は昼夜を問わず多くの参詣者で賑わっていたそうです。手をたたいてお祈りすると稲荷の使いの狐がいずこともなく出  >続きを読む