大徳寺には、天童山道樹林大徳寺という、長い呼び名があります。
当山は、佐久市前山の貞祥寺三世・松山龍鶴和尚さまが、永禄六年(1562)に、当時の沓沢村日向荒屋敷に庵を結び、隠居寺としたのにはじまります。
慶長二年(1592)に至り、小諸城主・仙石秀久公は龍鶴和尚の禅風を慕い、敷地寺領三十貫文を寄進しましたので、大徳寺の基がここにできました。これによって、仙石秀久公を「開基」と申し上げています。
山号「天童山」の由来には、以下のような話が伝わっています。龍鶴和尚さまが病んでいた時 >続きを読む
当山は、佐久市前山の貞祥寺三世・松山龍鶴和尚さまが、永禄六年(1562)に、当時の沓沢村日向荒屋敷に庵を結び、隠居寺としたのにはじまります。
慶長二年(1592)に至り、小諸城主・仙石秀久公は龍鶴和尚の禅風を慕い、敷地寺領三十貫文を寄進しましたので、大徳寺の基がここにできました。これによって、仙石秀久公を「開基」と申し上げています。
山号「天童山」の由来には、以下のような話が伝わっています。龍鶴和尚さまが病んでいた時 >続きを読む