天正元年酉年(1573)の大地震で大木頼母之助夫妻は二人とも押しつぶされて亡くなってしまいました。 その子、長男の主馬之助は、やむをえない事と悲しみ嘆いて、世を捨てて父母の遺骨と父の守り本尊の釈迦如来像を背負って諸国を巡拝して両親の遺骨を高野山に納めて、自身は願いをたてて出家してこの地に住み着いていました。

小田原北条氏の家臣の片山弥兵衛は、息子の図書具冶とともに天正18年(1590)の小田原城が落城したときの戦いに出陣し、片山親子は平村(現在の宮前区平)に無事に帰り、図書具冶は下菅生村長  >続きを読む