寛永3(1626)年、徳川三代将軍家光公治世の慶長年間に、甲府市・大泉寺の草庵として港区麻布今井町(現六本木3丁目)に建立された。
その後、豊後岡藩城主・中川内膳正久盛公が修理大夫秀成(中川秀成、久盛公の父)の菩提供養のためにお取り立てになり、併せて本寺九世陽山宗廣大和尚を拝請し開山とした。久盛公は承応2年に59歳で亡くなられ、その戒名(法号)より山号を「法臺山」というようになった。
創建以来、大変栄えたと伝えられるが、元禄8年、延享3年、天明4年の3回にわたり類焼にあったため、文政8( >続きを読む
その後、豊後岡藩城主・中川内膳正久盛公が修理大夫秀成(中川秀成、久盛公の父)の菩提供養のためにお取り立てになり、併せて本寺九世陽山宗廣大和尚を拝請し開山とした。久盛公は承応2年に59歳で亡くなられ、その戒名(法号)より山号を「法臺山」というようになった。
創建以来、大変栄えたと伝えられるが、元禄8年、延享3年、天明4年の3回にわたり類焼にあったため、文政8( >続きを読む