若山牧水ゆかりの禅寺
  • 認可参禅道場
  • 梅花講

萬歳山 台雲寺

〒882-0041 宮崎県延岡市北小路3739

沿革・年間行事

歴史や由緒

【萬歳山台雲寺】ばんぜいざん だいうんじ とは

福井県の大本山永平寺・神奈川県の大本山総持寺を両本山とし、滋賀県の總寧寺の流れを組む、曹洞宗のお寺です。



江戸時代には、延岡領内各地の寺院の復興・開山につとめて東・西臼杵郡内に49ヶ寺、児湯郡内に1ヶ寺の末寺をもつ本寺となり、今もなお宮崎県内40ヶ寺を超える末寺の本寺として、布教・修法に力を入れています。



境内には、延岡藩最後の藩主・内藤政擧(まさたか)公の墓所や、空の先駆者・後藤勇吉の墓所、文政年間奈良薬師寺のものを転写した佛足石・佛足石歌碑があり、また、歌人・若山牧水が『なつかしき城山の鐘鳴いでぬ をさなかりし日聞きしごとくに』の詠草を残した場所としても有名で、若山牧水の歌碑がたてられています。



【檀信徒会館】

毎月第一日曜に婦人会行事や清掃・管理活動が行われ、御詠歌等の勉強会や講演などに利用されています。



【仏足石】

佛足石は、お釈迦様が入滅した際に残したという足形を石に刻んだもので、奈良時代に日本に伝わり、各地で模刻されお参りされました。

当山の佛足石・佛足石歌碑は、国宝である文政年間奈良薬師寺の佛足石を転写したもので、文政12年(1829年)に建立されました。宮崎県内では唯一こちらだけになります。

 

年間行事

■開山忌

当山は、1614年滋賀県総寧寺十四世安月嫩泰大和尚を勧請開山として『曹洞宗 萬歳山(ばんぜいざん) 臺雲寺(だいうんじ)』となり、


1616年二世仙外玄靍大和尚が開創し、檀信徒の方々と歩み始めました。


開創後は延岡城主の菩提寺になるなどして法灯を輝かせ、2016年に「四百年」という大きな節目を迎えました。


2016年1月11日に、總持寺監院の乙川暎元老師を大導師に迎え、開創四百年祈祷祭を厳修しました。

■台雲寺 地蔵大祭

毎月24日は、地蔵様の縁日で、その年初めての縁日を特に「初」を付けて表します。

※縁日とは、神仏がこの世に縁を結ぶ日という意味で、この特定の日に祭礼や法会(ほうえ)などが行われます。仏教起源の行事であり、日本では鎌倉時代頃から行われるようになったといわれています。

当寺では、供養をしたいと願う檀家様の寄進により、昭和59年(1984年)に地蔵苑を建立しました。当時の地蔵尊は、専門職人により手掘りでつくられていたので、ひとつひとつ表情が違っているのも特徴です。

毎年1月24日に地蔵尊大祭をおこなっております。

■春彼岸法要

お彼岸は、「春分の日」「秋分の日」を中日として前後7日間のことをいい、春は「春彼岸」と、秋は「秋彼岸」といいます。

本来、煩悩に苦しむ現実のこの世を意味する此方(こちら)の岸=此岸(しがん)に対し、修業によって迷いを脱脂悟りを開いた彼方の岸=彼岸といいます。

彼岸は極楽浄土とされ、此岸は東に、極楽浄土は西方の遙か彼方にあると考えられていたため、太陽が真東から昇り、真西に沈む春分の日と秋分の日は、両世界がもっとも通じやすくなると考えられ、先祖供養の大切な行事となりました。

■内藤政擧(まさたか)公 墓前祭

延岡藩最後の藩主・内藤政擧(まさたか)公(1852-1927 享年76)は、明治9(1876)年創設の女児教舎に始まり、明治34年に私立延岡女学校として経営し、明治39年に市立延岡高等女学校とし、技芸科を分離して女子職業学校を併設。昭和4年に県へ移管され、県立延岡高等女学校となるまで経営にあたりました。延岡の教育振興に力をそそぎ、女子中等教育の先駆的存在として知られています。

教育や産業の振興に尽力し、延岡の礎を築いた政擧(まさたか)公の遺徳をしのび、感謝の意を込めて、旧延岡高等女学校同窓会の藤蔭会が毎年5月23日に墓前で供養祭をおこなっています。

■大般若祈祷法要

お釈迦さまの説かれた教えの集大成である”大般若経600巻”を読み上げる代わりに、集まった僧たちが声高らかに経題を読み上げ、経典を大きく開く作法で転読し、その功徳をもって仏さまに今年1年の天下泰平・五穀豊穣などを祈願すると共に、檀信徒のみなさまの無病息災を祈念するご祈祷の法要です。

この所作によって起きる風(空気)に触れることで、諸願が成就するともいわれています。当寺では、この大般若転読会を、毎年6月第一日曜日に行います。

■7月29日 施食会法要

施食会は、私たちと縁深いご先祖さまはもちろんのこと、祀り手のない仏様、無縁の仏様、全ての精霊に対し、たくさんのお供えをして供養の手をさし述べる法要です。

文化財文化財

■若山牧水歌碑

昭和2年(1927年)7月に、歌人・若山牧水が伯父(母・マキの兄)である当時の第29世・長田観禅住職を尋ねて、妻・喜志子と台雲寺を訪れました。

その滞在中、庫裡(くり=住職やその家族が居住する場所)の2階にて



「なつかしき 城山の鐘鳴いでぬ をさかりし日 聞きしごとくに」



の詠草を残したとして知られています。

昭和60年(1985年)10月21日に若山牧水生誕百年祭を記念して歌碑が建立されました。

後ろには、ご子息である旅人さんの詠草とサインが刻まれています。

■十六羅漢板絵

お釈迦様の弟子で特に優れた代表的な16人の弟子を『十六羅漢』といいます。お釈迦様の教えを後世に伝える大切な役割を担っています。



当山の十六羅漢板絵は、天明6年(1786年)12月、当山13世の月峰桂本(げんぽうけいほん)大和尚のときに、当時の豪商・石見屋2代小田清兵衛と小田理兵衛が中井直(号・雪施)に描かせて奉納されたものです。

高さ94cm、幅72cm、厚さ2cmの16枚の板にそれぞれ羅漢像が描かれています。

■仏足石

佛足石は、お釈迦様が入滅した際に残したという足形を石に刻んだもので、奈良時代に日本に伝わり、各地で模刻されお参りされました。



当山の佛足石・佛足石歌碑は、国宝である文政年間奈良薬師寺の佛足石を転写したもので、文政12年(1829年)に建立されました。

宮崎県内では唯一こちらだけになります。

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