【萬歳山台雲寺】ばんぜいざん だいうんじ とは
福井県の大本山永平寺・神奈川県の大本山総持寺を両本山とし、滋賀県の總寧寺の流れを組む、曹洞宗のお寺です。
江戸時代には、延岡領内各地の寺院の復興・開山につとめて東・西臼杵郡内に49ヶ寺、児湯郡内に1ヶ寺の末寺をもつ本寺となり、今もなお宮崎県内40ヶ寺を超える末寺の本寺として、布教・修法に力を入れています。
境内には、延岡藩最後の藩主・内藤政擧(まさたか)公の墓所や、空の先駆者・後藤勇吉の墓所、文政年間奈良薬師寺のものを転写した佛足石・佛足石歌碑があり、また、歌人・若山牧水が『なつかしき城山の鐘鳴いでぬ をさなかりし日聞きしごとくに』の詠草を残した場所としても有名で、若山牧水の歌碑がたてられています。
【檀信徒会館】
毎月第一日曜に婦人会行事や清掃・管理活動が行われ、御詠歌等の勉強会や講演などに利用されています。
【仏足石】
佛足石は、お釈迦様が入滅した際に残したという足形を石に刻んだもので、奈良時代に日本に伝わり、各地で模刻されお参りされました。
当山の佛足石・佛足石歌碑は、国宝である文政年間奈良薬師寺の佛足石を転写したもので、文政12年(1829年)に建立されました。宮崎県内では唯一こちらだけになります。
福井県の大本山永平寺・神奈川県の大本山総持寺を両本山とし、滋賀県の總寧寺の流れを組む、曹洞宗のお寺です。
江戸時代には、延岡領内各地の寺院の復興・開山につとめて東・西臼杵郡内に49ヶ寺、児湯郡内に1ヶ寺の末寺をもつ本寺となり、今もなお宮崎県内40ヶ寺を超える末寺の本寺として、布教・修法に力を入れています。
境内には、延岡藩最後の藩主・内藤政擧(まさたか)公の墓所や、空の先駆者・後藤勇吉の墓所、文政年間奈良薬師寺のものを転写した佛足石・佛足石歌碑があり、また、歌人・若山牧水が『なつかしき城山の鐘鳴いでぬ をさなかりし日聞きしごとくに』の詠草を残した場所としても有名で、若山牧水の歌碑がたてられています。
【檀信徒会館】
毎月第一日曜に婦人会行事や清掃・管理活動が行われ、御詠歌等の勉強会や講演などに利用されています。
【仏足石】
佛足石は、お釈迦様が入滅した際に残したという足形を石に刻んだもので、奈良時代に日本に伝わり、各地で模刻されお参りされました。
当山の佛足石・佛足石歌碑は、国宝である文政年間奈良薬師寺の佛足石を転写したもので、文政12年(1829年)に建立されました。宮崎県内では唯一こちらだけになります。