観嶺山 高福寺

〒987-1103 宮城県石巻市北村高寺58-1

沿革・年間行事

沿革

   当寺は、曹洞宗観嶺山高福寺と号し、

大同年間坂上田村麻呂の創建との言い伝えがあるが、

開山した僧侶の資料はなく、

当初は天台宗寺院であったと云われている。

荒廃していた当寺をその後、天文15年(1546)に、

澗洞院(東松島市)の第5世陽山慶誉大和尚が中興開山し、

曹洞宗に改宗された。

(『封内風土記』
封内風土記』(ほうないふどき)は、

      日本の江戸時代に仙台藩が編纂した地誌である。1772年
)。

 現在の本堂は旧本堂老朽化の為に昭和60年、

先住である二十四世亮雄大和尚並びに

当時の高福寺建築委員会により移転、新築に至り、

旧本堂の跡地は【奥の院】と表し報恩祈念とし

慈母観音像が奉られた。

 また、旧本堂以前の建物については、

山火事により堂塔宝物の一切は2回焼失している。

山号である【観嶺山】については、

高き山の頂きを目指し仰いでいくかのように

寺門繁栄の願いを込め、授けた名であると考えられる。

 本尊様は、【釈迦如来】、文殊・普賢両菩薩、

西側室中には震災により旭山の不動堂より移転された

不動明王が安置されている。

 

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