当地の豪族・杉治太夫氏が開基となり、永禄元年(1558年)に現在ものこる観音堂が建立されました。後に、川上郡備中町西山にある長松寺4世隆室慶興大和尚を御開山として、元和5年(1619年)に長谷寺を開創しました。
その後、文化5年(1808年)から3年かけて、5世中興建山文勇大和尚により現在の本堂及び庫院等の伽藍が整備されました。
明治15年(1882年)には、10世万安黙全和尚により寺を中心に33体の観音像が安置され、西国観音霊場が開かれました。
現在も年3回の観音講を行っています。
その後、文化5年(1808年)から3年かけて、5世中興建山文勇大和尚により現在の本堂及び庫院等の伽藍が整備されました。
明治15年(1882年)には、10世万安黙全和尚により寺を中心に33体の観音像が安置され、西国観音霊場が開かれました。
現在も年3回の観音講を行っています。