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  • 梅花講

玉尾山 願成寺

〒529-1571 滋賀県東近江市川合町950

沿革・年間行事

歴史や由緒

略縁起

寺伝によると、推古天皇二十七年の年(六一九年)に、聖徳太子によって創建されたと伝えられています。本尊である聖観世音菩薩立像は聖徳太子の母の姿を写したものと言われています。(秘仏のため特別な寺院行事以外は御開帳していません。一木造、身丈六尺)

創建後は天台宗寺院で、川合六坊の第一坊として栄えておりましたが、永禄年間(一五五八年~一五七〇年)織田信長の比叡山焼き討ち(元亀元年、一五七一年前後)と同じくほとんどの堂宇が兵火により焼失しましたが、本尊の観世音菩薩だけは難を逃れました。また、信長の刺客として杉谷善住坊という人が、千草峠にて鉄砲を放った話が有名ですが、当山も裏山に潜んでいた僧兵が信長にむけて矢を放ち、寺院はもとより、山まですべて焼き払われたとの伝承もあります。

以後、草庵にすぎなかったお寺ですが、寛永元年(一六二四年)に青木十兵衛(青木月感)、植田長右ヱ門(植田利康)などの人たちにより当時諸国を巡錫中の三河の国足助町(現在の愛知県豊田市足助町)香積寺住職三栄本秀大和尚を招いて曹洞宗寺院として寺が再興されました。また正保年間(一六四五年前後)には彦根藩三代藩主井伊直孝公も観世音菩薩に帰依され当山の境内地や山林など保護のための禁制令を出されています。

 

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