焼津市、高草山麓の坐禅のできるお寺です
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  • 梅花講
  • 外国人参禅

高草山 林叟院

〒425-0004 静岡県焼津市坂本1400

沿革・年間行事

歴史や由緒

文明3年(1471年)、今から545年の昔、時代は応仁の乱世にあって静岡県焼津に開かれた曹洞宗「林叟院」。元々は現在ある高草山麓、坂本の地ではなく、今では海中に没してしまった地、旧会下之島(えげのしま)海岸(現焼津市小川港の辺)の沖合いに建立されました。しかし、26年後の明応6年(1497年)、ある不思議な出来事をきっかけに今の地に移転することになったのです。移転の翌1498年に東海地方を襲った明応の大地震。発生した大津波による溺死者は(全国で)2万6千人。元の所在地、会下之島は一日にして海中に没してしまったと伝えられます。多くの犠牲者を出した悲しみの中、かくして難を逃れた林叟院。その不思議な移転にまつわる開創物語については、林叟院公式HPが詳しく紹介します。



高草山 林叟院(こうそうざん りんそういん) 

開創・・・1471年(室町時代後期、文明3年)   

勧請開山・・・崇芝性岱(そうししょうたい)大和尚

二世草創開山・・・賢仲繁哲(けんちゅうはんてつ)大和尚

開基・・・長谷川次郎左右衛門正宣(まさのぶ)(法永居士)

現住職・・・38世 牛岳包一(ぎゅうがくほういつ)(鈴木包一)

寺の移転にまつわる山神杉とその根元に祀られる山神血脈石

ご本尊

ご本尊さまは如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜおんぼさつ)、その両脇に奉られる脇侍(わきじ)は四天王の内、多聞天(たもんてん)と持国天(じこくてん)です。延宝6年(1678年)仏師運慶14代の孫弟子、清水美濃守康信の子、喜内高利の作と伝えられています。



 

文化財文化財

■鐘楼(しょうろう)

木造入母屋造(いりもやづく)り桟瓦葺(さんかわらぶき)、袴腰付(はかまごしつき)、二軒(ふたのき)繁垂木(しげたるき)、勾欄付(こうらんつき)といわれる形式。間口奥行き共に2.83メートル(9.34尺)、高さは約7.6メートル。別名で鐘撞堂(かねつきどう)とも言います。宝永3年(1706年)の創建といわれてきましたが、平成14年度の修復の際、天保15年(1844年)の棟札と棟束(むねづか)に墨書が確認されています。梵鐘をつるすのに袴腰付形式のものは少ないとのことです。

昭和47年5月焼津市指定文化財指定。



 

■経蔵(きょうぞう)

木造一重桟瓦葺(いちじゅうさんかわらぶき)、方形(ほうぎょう)造り。内部は正面奥に仏壇、中央に輪蔵(りんぞう)、格天上(こうてんじょう)で4.84メートル(16尺)四面。

経蔵は一切経などの経典を納めておく蔵で、内部中央の輪蔵は回転し、それを回転させることにより収納されている経典の功徳を得られるとされます。

二十世心牛祖印(しんぎゅうそいん)師が発願し、明和8年(1771年)に工匠(こうしょう)石川市之丞(いしかわいちのじょう)及びその子、権右衛門により上棟されました。師は中央の輪蔵に一切経全6930巻を納めることを目標としましたが、その一部950巻を収納できたのみと伝えられています。

平成23年の開山500回忌事業として外壁、輪蔵ともに修復されました。

昭和42年12月焼津市指定文化財指定。







 

■宝篋印塔(ほうきょういんとう)

境内にあり本堂と向かい合わせに立つ石塔で高さは約2.6メートル。

宝篋印塔(ほうきょういんとう)の名は「宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)」という経典を納めたことに由来します。塔身の四面には四仏(阿弥陀如来・弥勒菩薩・薬師如来・釈迦如来)を表わす種字(しゅじ)が刻まれています。建立年代は不明ですが、寛政3年(1791年)の林叟院古図には既に記録されています。

昭和61年9月焼津市指定文化財指定。



その他にも林叟院では多くの由緒ある文化財を見学できます。是非お越し下さい。公式HP rinso-in.com

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