当山は正治元年(1199年)真言宗 光明山
心包院として創立されまた。
天文4年(1535年)藤枝市 金龍山 心岳寺
三世学叟昌文大和尚により曹洞宗に改宗、延宝7年
(1679年)六世海印道空大和尚の代になり伽藍整
備のうえ 光福山新豊院と改めました。
三つ葉葵は代々当山の寺紋として伝承されています。
当山は嘉永四年(1851年)の火災でご本尊聖観世
音菩薩(座像)・山門鐘楼堂を残し本堂・庫裡・釈迦
堂・禅堂・衆寮ことごとく焼失した後、まもなく復興
しましたが、その後再び火災にあい大正二年本堂を再
建し伽藍の整備を図り現在の山容となりました。