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 光福山 新豊院

〒421-3305 静岡県富士市岩淵328

沿革・年間行事

歴史や由緒


当山は正治元年(1199年)真言宗 光明山 


心包院として創立されまた。


天文4年(1535年)藤枝市 金龍山 心岳寺


三世学叟昌文大和尚により曹洞宗に改宗、延宝7年


(1679年)六世海印道空大和尚の代になり伽藍整


備のうえ 光福山新豊院と改めました。


三つ葉葵は代々当山の寺紋として伝承されています。


当山は嘉永四年(1851年)の火災でご本尊聖観世


菩薩(座像)・山門鐘楼堂を残し本堂・庫裡・釈迦


堂・禅堂・衆寮ことごとく焼失した後、まもく復興


しまたが、その後再び火災にあい大正二年本堂を再


伽藍の整備を図り現在の山容となりました。


年間行事

■新豊院の大観音


大観音さんの由来について


大観音画像は大正十三年(1924年)一月、昭和天皇が東宮時代ご成婚されたのを奉祝し当町出身で東京美術学校(現在の東京芸術大学)教授、大村西崖画伯に揮毫を依頼、180反(縦40m・横17m)の晒木綿を読経の中、お寺の壇信徒の皆様が縫いあげた大布地(約700㎡)に四日半で墨汁四斗五升(81リットル)使い、近くの小学校の校庭で描きあげた大画像。大正・昭和・平成と三代の長きに亘りよく風雪に耐えていたが、大観音画像完成 1999年の新豊院開創800年の記念事業として国際水墨 画協会の室伏春玲会長並びに協会員の皆様のご協力により、さらに大きく240反(縦45m横18m)の布に複写し例年三月中頃の日曜日に当山裏の観音山に掲揚しご開帳しております。


文化財文化財

■山門

山門の形は薬医門(城門の一種)。薬医門のいわれは、一説には矢の攻撃を食い止める「矢食い」からきたと言われています。また、かつて医者の門として使われたことからとも言われ、門の両脇に木戸をつけ、たとえ扉を閉めても、いつでも患者が出入りできるようにしたからとも言われています。この山門は江戸初期の建造物です。また山門の額は明の帰化僧、東皐心越が天和元年(1681年)水戸光圀に招かれ、江戸に向かう途中、当山に立ち寄り揮毫したものです。

■薬師如来

薬師瑠璃光如来像は鎌倉時代の作で像高三尺五分(92.4センチ)の等身大の座像で螺髪(頭上の巻毛)を彫り出し、額には白毫相(仏の智慧)をあらわし、首の下には仏の特徴である三道(三つのくびれ)を彫り、右手は肱を曲げてたて、左手は左膝の上に置いて薬壺(今はありません)を持って、足は結跏跌坐(座禅の正式な足の組み方)しています。

■聖観世音菩薩

聖観世音菩薩像は、作者不詳でありますが、平安時代末期(900年頃)藤原期の作と言われております。


身の丈は四尺四寸(134.5センチ)で、作りは桧材に漆を塗り、頭・体・肩・肱・手首・足と幾つにも分け、当時としては珍しい技法を凝らしており、垂れた髻・髪の毛・彫った眼は白毫相(仏の智慧)を現しています。宝冠をいただき左手には蓮華(今はありません)を持ち右手も親指と人差し指で印をむすんでいます。

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