本尊 薬師如来 草創 延暦15年 弘法大師 |
由緒 当山は、弘法大師の草創で、全国行脚途中、数年ここに留まったといわれている。 岩田の羽場西遇に村社「八幡神社」(現 伊波乃西神社)がある。大師はその南に、堂宇を建立し、自ら薬師如来の尊像を作って本尊佛としその背後に曼荼羅を添えた。大師23歳の「延暦15年(796)、伊波西乃僧院八幡の境林陽寺僧 空海書」とある。さらに、弘仁5年(814)大師41歳のとき、当寺に再来し、7日間薬師如来の護摩を修したと伝えられている。その後、当寺は春日明神別当観音堂として祠られ、明神を今の鍋坂に移すと同時に、観音堂を北山鵜飼屋に移した。しかし、久しく無住となり、荒廃はなはだしく尊像も雨露にさらされた。寛文5年(1665)、宜公和尚が、茲にきて大師の霊場が荒廃しているのを嘆き霊地を選定して一寺を再建し、旧寺号に復興、八幡山林陽寺と称し、松本全久院(松本城主 松平丹波守菩提寺)13世了然玄超禅師開山第1世に据え、曹洞宗寺院となった。その後、慶応元年(1865)飛騨丹生川正宗寺より天洲薩道和尚が入寺し、岩水姓となり、法灯連綿として現住12世(前9世を加えて21世)に至っている。なお、当寺の本堂は、明治24年(1891)10月濃尾大震災によって倒壊。大正9年(1920)村内の御懇志によって再興。昭和59年(1984)現住の晋山記念として本堂屋根葺替等の大修理が行われ、翌年11月晋山式が行われた。庫裡は、平成3年(1992)に再興、大広間の格天井に第11世玄峰和尚(日本画家)の絵が160枚収められている。昭和55年(1980)盆月、円空仏3体が発見され新たな寺寶とされた。平成26年弘法堂が新築されほぼ整備が完了した。