「観音の行は善 諸々の方所に応じて 弘誓の深きこと海の如し」と観音経にありますように、観音様が本尊であります。
当寺の秘仏本尊如意輪観世音菩薩像はインド・マカダ国で誕生し、中国より日本へと渡来し、はじめ京都建仁寺に祀りし後、故あって三木自綱公が帰依する所となり、元禄元年(1558年)飛騨平定し松倉城築城のおり、城下にこの観音様を本尊として真言宗善応寺が建立されました。
その僅か27年後(天正13年)三木氏は金森氏との戦に敗れ落城し当寺も焼失いたしました。
焼失の際に火炎の中で燦然と輝く尊像に驚いた金森兵がこれを助け出し、後に現在の地に曹洞宗善応寺として再興されました。