大徳寺には、天童山道樹林大徳寺という、長い呼び名があります。
当山は、佐久市前山の貞祥寺三世・松山龍鶴和尚さまが、永禄六年(1562)に、当時の沓沢村日向荒屋敷に庵を結び、隠居寺としたのにはじまります。
慶長二年(1592)に至り、小諸城主・仙石秀久公は龍鶴和尚の禅風を慕い、敷地寺領三十貫文を寄進しましたので、大徳寺の基がここにできました。これによって、仙石秀久公を「開基」と申し上げています。
山号「天童山」の由来には、以下のような話が伝わっています。龍鶴和尚さまが病んでいた時、何処からともなく童子が薬を運んで参りました。その薬を飲んで、龍鶴和尚さまの病は癒えましたが、童子が何処から来て何処に帰って行ったのか、誰にも分かりません。しかし人々は、龍鶴さまの徳を慕って、天童が来て救ってくれたのだと言いました。仙石秀久公がこれを聞き及んで、「天童山」と山号を名付けられたという事です。また「道樹林」は秀久公の戒名「圓覚院殿寳誉道樹大禅定門」にちなんで付けられたと言われています。
境内には当山二十一世慈船和尚の発願により、明治二十九年に開基碑が、檀信徒、仙石家遺臣の協力によって建立されています。仙石家十一代政固撰文、日下部鳴鶴(比田井天来の師)書により、龍鶴和尚様と、秀久公の関係が誌されています。
元和八年(1622)小諸城主仙石家二代忠政公より寺領の寄進を受け、さらに寛永元年には沓沢村より山林の寄進があり、これによって貞祥寺隠居寺より名実共に大寺院としての基盤ができました。大翁放達和尚さまの代でしたので、龍鶴和尚さまを「開闢開山さま」、放達和尚さまを「ご開山さま」と申し上げています。
享保年間に火災に遭いましたので、開創時の明確な場所は不明です。宝暦四年(1754)に本堂、庫院など諸堂を建築し、落慶式典を挙げたのですが、宝暦六年四月に火災により、本尊さま、過去帳を残し、殿堂、法具ことごとく焼失してしまいました。
その後、明和二年(1765)に、現在の本堂の落成をし、庫裡は当時の田口村の小林孫左衛門(農民の窮乏を訴えて闕所となる)旧宅を移して来ました。昭和四十八年、前住職徳圓和尚代に諸堂を修復し現在に至っています。
現住職で、ご開山より二十五代。歴代の住職と檀中と一体となって、愛山護法のもと今日の大徳寺を築いてまいりました。現在、聖徳太子が言われた「和を以て貴しと為す」をモットーにして、檀信徒の和合をはかり、仏縁に接し、共に明るく楽しく、心穏やかに生活できることを念願して、活動しております。
当山は、佐久市前山の貞祥寺三世・松山龍鶴和尚さまが、永禄六年(1562)に、当時の沓沢村日向荒屋敷に庵を結び、隠居寺としたのにはじまります。
慶長二年(1592)に至り、小諸城主・仙石秀久公は龍鶴和尚の禅風を慕い、敷地寺領三十貫文を寄進しましたので、大徳寺の基がここにできました。これによって、仙石秀久公を「開基」と申し上げています。
山号「天童山」の由来には、以下のような話が伝わっています。龍鶴和尚さまが病んでいた時、何処からともなく童子が薬を運んで参りました。その薬を飲んで、龍鶴和尚さまの病は癒えましたが、童子が何処から来て何処に帰って行ったのか、誰にも分かりません。しかし人々は、龍鶴さまの徳を慕って、天童が来て救ってくれたのだと言いました。仙石秀久公がこれを聞き及んで、「天童山」と山号を名付けられたという事です。また「道樹林」は秀久公の戒名「圓覚院殿寳誉道樹大禅定門」にちなんで付けられたと言われています。
境内には当山二十一世慈船和尚の発願により、明治二十九年に開基碑が、檀信徒、仙石家遺臣の協力によって建立されています。仙石家十一代政固撰文、日下部鳴鶴(比田井天来の師)書により、龍鶴和尚様と、秀久公の関係が誌されています。
元和八年(1622)小諸城主仙石家二代忠政公より寺領の寄進を受け、さらに寛永元年には沓沢村より山林の寄進があり、これによって貞祥寺隠居寺より名実共に大寺院としての基盤ができました。大翁放達和尚さまの代でしたので、龍鶴和尚さまを「開闢開山さま」、放達和尚さまを「ご開山さま」と申し上げています。
享保年間に火災に遭いましたので、開創時の明確な場所は不明です。宝暦四年(1754)に本堂、庫院など諸堂を建築し、落慶式典を挙げたのですが、宝暦六年四月に火災により、本尊さま、過去帳を残し、殿堂、法具ことごとく焼失してしまいました。
その後、明和二年(1765)に、現在の本堂の落成をし、庫裡は当時の田口村の小林孫左衛門(農民の窮乏を訴えて闕所となる)旧宅を移して来ました。昭和四十八年、前住職徳圓和尚代に諸堂を修復し現在に至っています。
現住職で、ご開山より二十五代。歴代の住職と檀中と一体となって、愛山護法のもと今日の大徳寺を築いてまいりました。現在、聖徳太子が言われた「和を以て貴しと為す」をモットーにして、檀信徒の和合をはかり、仏縁に接し、共に明るく楽しく、心穏やかに生活できることを念願して、活動しております。