• 梅花講

普光山 千眼寺

〒959-3431 新潟県村上市平林1701

沿革・年間行事

歴史や由緒

千眼寺は曹洞宗で、山号を普光山という。開基は平林城主色部長真である。

千眼寺はもとは真言宗で、色部家にとってゆかりのある寺であったが、長真の時代には衰微廃壊していた。長真はこれを憂い、その再興を門前耕雲寺(村上市)十世大冲元甫禅師に懇請した。禅師は長真の居城近くに佳地を選んで堂宇を建て、天文元年(一五三二)に千眼寺を開創した。千眼寺は色部家の菩提寺として栄え、その末寺が有明(光淨寺)、桃川(東膳寺)、南田中(福源寺)、福田(應菴寺)、荒島(東岸寺)、春木山(西法寺)、上鍛冶屋(金蔵寺)、金屋(大雄寺)と各地に次々と建てられた。

 慶長三年に色部光長は上杉影勝の会津移封によって米沢金山の城に移ったことから、色部家の菩提寺としての千眼寺も随従して窪田(米沢市)に移ったが、平林に残った建物はやはり千眼寺の名を続け、現在に至っている。

 昭和四二年八月の大水害で、享保四年(一七一九)に建てられた本堂は大破し、四六年に現在の堂宇が再建された。

文化財文化財

■保呂羽堂

 本堂の左手の小高い丘の上の保呂羽堂がある。仁王門を通って百三十段ほどの石段を上ると、欅造りの御堂が建っている。

 保呂羽堂は色部長真が豊臣秀吉の命により、庄内・仙北地方へ出陣した際に、彼の地で尊崇されていた保呂羽権現の霊験に深く感じ入り、分霊を勧請して文禄元年(一五九二)に社殿を建立したことに始まる。

 保呂羽権現は秋田県の由利郡と平鹿郡にまたがる奥羽山脈の保呂羽山(四三八㍍)の山頂に祀られている式内社の波宇志別神社で、和州吉野(奈良県)の金峯山蔵王権現を招祭したものだといわれている。

 千眼寺が米沢へ移った時、保呂羽権現も彼の地に移された後荒廃していたが、千眼寺十九世霊應寛同和尚が弘化三年(一八四六)に発願し、安政五年(一八五八)に完成したのが現在の社殿である。本殿は一間に一間四尺、長ノ間一間に二間三尺、拝殿二間三尺に二間、額堂三間に二間の総欅造りで、彫刻は村上の名匠山脇三作の手によるものである。

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