開かれた禅苑、花と緑があふれるお寺
  • 梅花講

 巨木山 東泉寺

〒245-0017 神奈川県横浜市泉区下飯田町743

沿革・年間行事

歴史や由緒

当寺は、徳川家の旗本、筧為春(かけひためはる)によって開かれました。宗派は曹洞宗、鎌倉市植木龍宝寺の末寺。本尊は釈迦無牟尼仏。開山は遼国壽鶴(りょうこくじゅかく)大和尚。創建の年月日は不明ですが、為春が下飯田 を知行地としてからまもなく建立されたものと考えると、知行地を与えられた天正18年から起算しますと平成29年で 426年を数えます。



また、現在地に東泉寺が開かれたのと同時期に、下飯田町本郷地区の通称薬師藪にあった 薬師堂も、同境内に筧為春によって移転されております。この薬師堂は、鎌倉期に寺域周辺の飯田郷を治めていた飯田五郎家義(いいだごろういえよし)が信仰したとされるもので、飯田家義ゆかりの寺とも言われています。飯田家義は石橋山の合戦以来源頼朝に仕えた勇将として知られております。また、堂内には、弘法大師の石像が安置されており、新(準)四国88大師の59番札所となっています。



山門は、天明3年(1783)に11世春長義天(しゅんちょうぎてん)大和尚の晋山の際に再建されています。平成5年の屋根替修復工事の時に、天明の飢饉、浅間山の噴火、風水害の様子などが、梁や肘木に多数書付 けられているのが発見されました。また、当時の俳人(松尾芭蕉門下)、美濃口春鴻の自筆と思われる句「人も 斯く老いて秋立つ眉毛かな」等、数点が書かれています。生家の美濃口家は上飯田本興寺の檀徒ですが、下飯田の名主をつとめ、江戸期の寺請制度中にあっては当寺の壇中として尽力いただいておりました。



寺号額(本堂向拝前)は、明治31年、鎌倉円覚寺の釈宗演禅師の書によるものです。



本堂は、大正12年の関東大震災によって倒壊し、昭和9年に再建され、現在に至っています。主な柱には裏山の松が使われています。昭和60年に銅版へと屋根替をし、平成10年に庫裏の新築と同時に位牌堂を増築しました。

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