• 認可参禅道場

 八幡山 祥雲寺

〒292-0801 千葉県木更津市請西1012-1

沿革・年間行事

歴史や由緒

≪概要≫

当寺は、木更津市の市街地を望む、通称「祥雲寺山」の中腹に位置し、眼前に東京湾を配し、富士山を遠望する地にあります。

春は桜、そして紫陽花、彼岸花と近隣の開発進む中で、自然が残され、恵まれた寺域です。桜は百年になろうかという古木です。



≪開山のいわれ≫

開闢は、当山東側の望地谷地区に現存する大網一族の菩提寺として、室町時代、嘉吉年間(1440年頃)で、一族の墓所の中央に、「当寺開基 大網家 雪江院梅翁道白居士」の墓石があり、嘉吉2年の没年が刻まれています

禅宗(曹洞宗)としての開山は、天文年間(1538年頃)、徳川家康公の大叔父にあたると言われる、鐵山受白大和尚が、浜松市肴町大安寺(または長野市大安寺)より、君津市鎌滝 天南寺2世として、当地に錫され、数ケ寺を開かれたとされます。この縁により大正時代に製作された幔幕には葵の紋が染め抜かれておりました。



≪戊辰の役での難≫

当寺の東側には真舟陣屋跡があり、請西藩(林藩)の屋敷がありました。第4代 林 昌之助忠崇は、徳川幕府への忠義の思い篤く、当主自ら脱藩し、伊庭八郎率いる遊撃隊と共に、箱根から奥州に転戦しますが、出兵に際し、陣屋に火を放ちます。同じくして当寺も焼失いたしました。その後、富津飯野藩保科氏により、間口15間の大本堂が、復興されました。



☆関連書籍の紹介《脱藩大名の戊辰戦争》



≪木更津高校の発祥≫

 明治33(1900)年、「遠く富嶽を西にして・・」と校歌にあるように、県立千葉中学木更津分校として開校した現木更津高校は、開校当時、学舎が成るまで当寺の本堂を約半年間使用していました。この校歌は当山からの景色を歌われたものかもしれません。



☆木更津高校HPより《沿革》



≪関東大震災の難≫

その後、新潟県長岡より、33世 泰嶽周善大和尚を迎えました。周善和尚は市内を托鉢行によって資金を募り、本堂屋根の瓦葺き替えなどを、成し遂げました。しかし、大正12(1923)年、関東大震災によってこの大本堂は倒壊し、平成元年まで、仮本堂にて過ごしました。

《木更津八景の一つ》



 


この頃は、あまり聞かなくなりましたが、『木更津八景』の一つに「祥雲寺の秋月」があります。山上へ上がる月は、すすきの穂と相まって、直ぐそばまで宅地開発が迫っていることを忘れさせます

《遠く富嶽を望みて》

眼前に黒く広がる東京湾とその奥に配する冨士は西上総の絶景、併せて、夕景の黒冨士は、当地の宝といえます。


 

年間行事

■年間行事

1月(元朝会)

2月(節分会)

3月(春彼岸会)

4月(はなまつり)

6月(布教法話の会)

8月(盆供養)

1日 新盆供養法会

8日 盆供

12日 新盆棚経参り

13日~15日 棚経参り

20日 (施食会=合同お盆供養)

9月(秋彼岸会)

10月(稲荷祭)

12月(除夜)





 

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