「みちびき地蔵尊」「花とお地蔵さまの禅寺」

祥平山 源昌院

〒348-0061 埼玉県羽生市稲子1049-1

沿革・年間行事

歴史や由緒

源昌院は「分福茶釜」で有名な群馬県館林市の茂林寺の孫寺で、禅宗寺院としては珍しく地蔵菩薩を本尊としています。

『新編武蔵風土記稿』によると、開基は羽生城主・木戸忠朝(ただとも)の家臣・鷺坂軍蔵(不得道可)とされ、開山として羽生市藤井上組の源長寺から徳岩正道大和尚を招き、慶長10年(1605)に創建されました。

戦国時代、羽生市役所の北方付近には、羽生城という蓮池に浮かぶ平城があり、木戸忠朝が城主を務めていました。忠朝は関東管領・上杉謙信の忠臣で、終始一貫して謙信に仕えた武蔵国で唯一の武将として知られています。

忠朝の最期については諸説のこされていますが、その一つに、天正2年(1574)の羽生城最後の戦いの際に、羽生の稲子(いなご)の地で自刃したという伝説があります。忠朝は戒名を「久昌院源心長公居士」といい、これは当院の名前の由来となっています。

 

ご本尊

仏像「地蔵菩薩(みちびき地蔵尊)」

安産・子育てをはじめとする母子の擁護や水子供養をつかさどる仏様です。

衆生を極楽浄土に導くお地蔵様、阿弥陀二十五菩薩の一尊「無辺身菩薩」として信奉されています。

片足を下ろした姿勢は、今まさに立ち上がり、衆生を救いに行こうとしている姿だと伝えられます。

 

文化財文化財

■仏像「阿弥陀如来」

極楽浄土を主宰する仏様です。

西暦1400年前後に造立された寄木造りの仏像で、光背・台座を含めた像高は260㎝程になります。

延宝4年(1676)の記録には「當郷擁護之霊佛而且亦堂宇之最初也(意訳:源昌院が創健される以前から、この地の守護をつかさどる霊仏である)」と記されています。

■仏画「地蔵菩薩来迎図」

臨終に際して阿弥陀如来の居所である極楽浄土から、二十五の菩薩が迎えに来るようすを描いた仏画です。

先頭には源昌院の本尊でもある地蔵菩薩(無辺身菩薩)が描かれています。

地蔵尊のうしろの観音菩薩がもつ蓮華台に乗って、浄土へ往生すると伝えられています。

■羽生城主「木戸忠朝(ただとも)」

源昌院は、羽生城主・木戸忠朝の自刃伝説がのこる稲子(いなご)の地に、忠朝の家臣の鷺坂軍蔵(不得道可)によって創建されました。

忠朝は関東管領・上杉謙信の忠臣で、終始一貫して謙信に仕えた武蔵国で唯一の武将として知られています。戒名を「久昌院源心長公居士」といい、これは源昌院の名前の由来となっています。

嘉永5年(1852)に刊行された『烈戦功記』には、木戸忠朝について「上杉謙信恩顧乃者にて武勇世に免されたる勇士なり」と記されています。

(写真:源昌院蔵『烈戦功記』巻之八)

■中興開基「栗原直重(なおしげ)」

源昌院は元禄10年(1697)に、甲斐武田氏の家臣であった栗原氏の後裔・栗原直重によって再興されました。

直重は仏教と儒教に精通した知識人で、茂林寺20世梁翁正津大和尚の無二の親友でした。

当院が所蔵する浮世絵「武田信玄二十四将図」には、直重の先祖である栗原詮冬(あきふゆ)の姿が描かれています。

■昔話「分福茶釜・稲子の巻」

源昌院が建つ稲子(いなご)には、「茂林寺のタヌキが分福茶釜のフタを忘れていった」という伝説がのこされています。(『羽生昔がたり』5・7・10・18巻)

このような昔話が生まれた背景には、源昌院が茂林寺の孫寺にあたること。そして稲子が羽生の最北に位置し、茂林寺がある館林と近接していることが関係していると考えられます。

『甲子夜話』によると、茂林寺に分福茶釜を持ち込んだ守鶴(しゅかく)和尚は、数千年を生きたタヌキ(ムジナとも)の化身で、熟睡している時にあやまって正体を現してしまい、寺を去ったと伝えられています。もしかするとその時に稲子に立ち寄り、茶釜のフタを落としていったのかもしれません。

(写真:源昌院蔵「掛軸 分福茶釜図」)

■昔話「茂林寺の千人法会」

戦国時代の元亀元年(1570)夏、館林の茂林寺で千人法会が開催され、守鶴和尚(タヌキの化身)が分福茶釜で湯を沸かし、参加者にお茶を振る舞ったと伝えられています。

この時、羽生城は木戸忠朝が、館林城は忠朝の実兄の広田直繁がそれぞれ城主を務めていました。

もしかするとこの二人も近隣城主として法会に招かれ、鷺坂軍蔵(忠朝の家臣で源昌院開基)をお供に連れて、守鶴和尚の点てたお茶を飲みに行っていたかもしれません。

(写真:源昌院蔵「浮世絵 守鶴和尚図」)

■石像「分福・狸地蔵と茶釜石(むじな地蔵)」

人々に「福を分けあたえる」タヌキのお地蔵様です。

源昌院が建つ稲子村には、茂林寺のタヌキがやってきて分福茶釜のフタを忘れていったという昔話が伝えられています。この故事にちなんで、茂林寺の孫寺である源昌院に狸地蔵が奉安されました。

「分福」の言葉には、他者の幸福を願う心が自身の本当の幸福につながる、という教えを説いているともいわれます。「幸せになりたかったら人を幸せにする。幸せの種をまいていく。それがいつか必ず自分に返ってくる」それが分福茶釜の教えです。

■仏像「涅槃仏(ねはんぶつ)」

お釈迦様がお亡くなりになられた時のお姿を表現したニルヴァーナ・ブッタ(涅槃仏)です。

全長75㎝程のご仏像で、源昌院23世住職によってタイから請来されました。

涅槃とは、煩悩を滅してあらゆる苦しみから脱した安らぎの境地。仏教における理想の状態、悟りの境地を表現します。源昌院では納骨者のご冥福と、お釈迦様のような安らかな涅槃を祈り、涅槃仏を永代供養墓にお祀りしています。

■仏像「文殊菩薩」

源昌院23世住職によって、タイから請来されたマンジュシュリー(文殊師利菩薩)です。

仏の智慧を象徴する菩薩で、「学業成就」の仏様として信仰されています。

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