御本尊 十一面観世音菩薩
御開山 甘楽町宝積寺十二世 芳谷永とん禅師 (とん=麻の下に香)
開創年 永禄7年(1564)
開 基 小幡上総介重定の二男 小幡弾正忠信氏公 信重ともいう。
由 緒
小幡信氏公が国峰城、宮崎城の両城の城主であった時、永隣寺を建て菩提寺とし、寺領として9,750坪を寄進した。
信氏公は、永禄12年12月6日、静岡の蒲原の戦いで戦死。徳翁永隣禅定門となり、夫人は、天正15年5月29日に逝去。算室正寿禅定尼となった。
時代は変わり、徳川家康公が宮崎城を奥平美作守信昌公に給い、その奥方(家康の長女・亀姫)が永隣寺三世春慶和尚に帰依し当寺を祈願所としたことから、慶安2年(1649)、三代将軍家光公より朱印地23石を賜る。
今まで安永年間(1780)に一度、天保3年(1832)、天保11年(1840)と三度大火災にあう。現在の本堂は明治30年(1897)にできたものである。
御開山 甘楽町宝積寺十二世 芳谷永とん禅師 (とん=麻の下に香)
開創年 永禄7年(1564)
開 基 小幡上総介重定の二男 小幡弾正忠信氏公 信重ともいう。
由 緒
小幡信氏公が国峰城、宮崎城の両城の城主であった時、永隣寺を建て菩提寺とし、寺領として9,750坪を寄進した。
信氏公は、永禄12年12月6日、静岡の蒲原の戦いで戦死。徳翁永隣禅定門となり、夫人は、天正15年5月29日に逝去。算室正寿禅定尼となった。
時代は変わり、徳川家康公が宮崎城を奥平美作守信昌公に給い、その奥方(家康の長女・亀姫)が永隣寺三世春慶和尚に帰依し当寺を祈願所としたことから、慶安2年(1649)、三代将軍家光公より朱印地23石を賜る。
今まで安永年間(1780)に一度、天保3年(1832)、天保11年(1840)と三度大火災にあう。現在の本堂は明治30年(1897)にできたものである。